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蒲菖亭(あべの古書店主人)
蒲菖亭(あべの古書店主人)

2023年10月24日

『竜爪山の天狗』

静岡市の竜爪山には天狗が出ると昔から言われてきた。
竜爪神社の巨大な御神木の先端にたち、そこから駿河湾に向かって宙を滑空する。
海岸まで飛んで行くのだが、浜に降りることはまずない。
決まって、高い絶壁のある崖の上に現れる。そこに松の木があれば更にいいようで、久能山山頂の物見の松は、天狗の休憩場所としてよく知られていた。残念ながら、物見の松はいまはもう存在せず、天狗の話も聞かれなくなった。
一説によれば、竜爪山の修験者たちのことを天狗と呼んだそうだ。
この修験者は特種な技能を持っていた。憑き物落としである。人に取り憑いた、狐や狸や鬼や悪霊を祓い落とすのである。近代以降の医学は、憑き物という状態は、人が狐狸妖怪の類にコントロールされるのではなく、ストレスや精神疾患からもたらされる「こころの病」だと解明した。だが精神医学が未開の時代、ヒステリー症状は禍をなすモノに取り憑かれたと考えられ、その治療は加持祈祷を行う修験者に託されたのである。
静岡市北部の村で狐憑きの老人が出た。四六時中奇声をあげ、意味不明なことをぶつぶつつぶやきながら村内を徘徊する。困り果てた家族は竜爪山の天狗、即ち修験者に頼った。早速村を訪れた修験者は、三日三晩、一睡もせず休息すらとらずに悪霊払いの呪文をとなえ続けた。その間、老人は笑い、叫び、庭の土の上を転げ回り、ところかまわず排泄をした。四日目の朝、修験者は全ての行をやめ、家族に向かって言った。
「残念だが、これはもうどうしようもない」
「治せないのですか、狐を落とせないのですか」と息子が食い下がった。
「落としてもムダなんだ。ご老人はもう死んでいる。ここにいるのは狐だ。人の姿はしているが、体の中にいるのは狐なんだ。ご老人は既にこの世にはいない」
修験者が立ち去り、息子は激怒した。「この狐め、よくもじいさまを殺したな」と怒りにまかせて老人を殴りつけた。家族も次々に老人を殴りつけた。薪を持って、石を持って、あるいは素手で老人を殴った。激しい暴行を受け、老人は死んだ。「じいさまの敵は討ったぞ」と、ぽつりと息子がつぶやいた。
この話を聞いた町の漢方医が事件のことを書き残し、自身の感想を加えている。
竜爪の天狗さまも罪なことをしたものだ、年を取るといろいろな不都合が起きてくる、わけのわからぬことを言い出したり、見えないものが見えたり、ものごとを忘れたり、甚だしきは己が誰なのかを忘れてしまう、殺された老人は狐ではないのになあ。
漢方医の日記を読んだ郷土史家は、こんな風に考察した。
狐憑きにされた老人が、いわゆる認知症にすぎなかったとしても、貧しい一家が要介護者を抱えてしまうのは、家族にはたいへんな負担であり、「姥棄て山」の風習にもみられるように、共同体から「厄介者」を排除しようという事例は珍しくないのである。おそらく老人を殺害した家族は老人が「狐憑き」ではないことを知っており、治療者である天狗も、老人が「狐憑き」ではないと知っている。つまり「狐憑き」は、家族の障害となっている老人を口減らしするためのやむにやまれぬ「方便」なのである。
不思議な話や奇怪な話の裏に、名もなき庶民の小さな歴史が埋もれている。

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Posted by 蒲菖亭(あべの古書店主人) at 12:19│Comments(0)演劇
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