2023年10月26日
水のように流れる(3)
3
その女性が会場に入ってきたとき、『谷間の百合』は既に開演していた。桟敷席は満員の盛況で、彼女が坐る余地はなかった。当惑したのか、客席の最後尾に立ってなにかブツブツとつぶやいている彼女の様子を見て、これは「異物」になってしまうかなと僕は少々懸念した。
しばらくして、観客に紛れて最前列に座っていた俳優が舞台にあがった。遅れてきた女性は、ぽっかり空いたスペースに素早く移動した。舞台では「観客モドキ」の俳優が、無法者俳優にぺしぺしと頭をはたかれている。くだんの女性が「ダメだよ、叩いたりしちゃ」と大声をあげた。
その後もことあるごとに、彼女は舞台に声を出すのだった。自らの「こころ」を激しく傷つける伝説のストリッパーに、「そんなことない、そんなことないよ」と励ましの言葉をかける。登場人物の台詞に共感すると「そうだね、そうだよ」と周囲をはばかることなく発言する。彼女は「異物」だった。だが、水族館劇場の観客には、彼女を制する者はいなかった。
今から四十年ほど前、静岡大学が移転していった跡地で、演劇センター68/71、通称黒テントが『阿部定の犬』を上演した。興行の世話人は静岡大学の学生―たしか「らせん劇場」の母胎となったグループだと記憶している―だった。観客はほとんどが大学生だったが、その中にローティーンの僕や、酒に酔った「労務者」がいた。酔っぱらいは舞台上で照明を浴びている新井純に、しきりに声をかけていた。「ねーちゃんキレイだなあ、キレイだぞねーちゃん」と阿部定役の新井純を賛美した。
そのうち、眼鏡をかけた、どこから見てもインテリの大学生が酔っぱらいに警報を発令した。「うるさいよ、静かにしてくれよ」。作業着を着た「労務者」は、なおも新井純を讃え続けた。インテリ野郎は立ち上がって酔っぱらいの胸ぐらをつかむと、「酔っぱらってんだろあんた、邪魔だから出てってくれ、迷惑なんだよ」と判決を下し、なけなしの有り金をはたいて(※想像)黒テントの当日チケットを買った(※想像)オッチャンを劇場の外の暗い荒れ地に叩き出した。
インテリ野郎の行為は「正義」だったのだろうか。彼の行為は観客席の総意だったのだろうか。今夜の「飲み代」を観劇チケットに換えたオッチャンの「観る権利」は、舞台上で進行する物語に参加してしまった咎で、剥奪されてしまったのだろうか。インテリ野郎の行為に干渉しなかった劇団側は、観客席は自治空間であるから、客席内でトラブルが生じたらそれは観客同士で処理するべきだと考えているのだろうか。
そして「虚構地獄」に落ちている僕は、あれは劇団の「仕込み」だったのかもしれないとついつい思ってしまう。
水族館劇場の観客席でワアワアやっていた女性は何者だったのだろう。その日、たまたま通りかかった会場でポスターを眼にし、「一条さゆり」の物語だからということで飛び込んできたらしい。終演後、女性は興行世話人を捕まえて、「これで一座のみんなに一杯飲ませてあげて」と酒代を渡していった。
「こころ」の声をそのまま口に出してしまうような人たちには、今の世の中は生きにくいかもしれない。彼らはマイノリティであり、「異物」であり、「ノイズ」であるからだ。
昔々、黒テントの舞台に「こころ」の声を発してしまった異物者は、演劇空間から排除されてしまった。それから四十年後、水族館劇場の舞台に「こころ」の声を投じる異物者は、そこに留まることを許されていた。いったい、そこに境界線を引いたのは何者だったのだろう。
(終わり)
その女性が会場に入ってきたとき、『谷間の百合』は既に開演していた。桟敷席は満員の盛況で、彼女が坐る余地はなかった。当惑したのか、客席の最後尾に立ってなにかブツブツとつぶやいている彼女の様子を見て、これは「異物」になってしまうかなと僕は少々懸念した。
しばらくして、観客に紛れて最前列に座っていた俳優が舞台にあがった。遅れてきた女性は、ぽっかり空いたスペースに素早く移動した。舞台では「観客モドキ」の俳優が、無法者俳優にぺしぺしと頭をはたかれている。くだんの女性が「ダメだよ、叩いたりしちゃ」と大声をあげた。
その後もことあるごとに、彼女は舞台に声を出すのだった。自らの「こころ」を激しく傷つける伝説のストリッパーに、「そんなことない、そんなことないよ」と励ましの言葉をかける。登場人物の台詞に共感すると「そうだね、そうだよ」と周囲をはばかることなく発言する。彼女は「異物」だった。だが、水族館劇場の観客には、彼女を制する者はいなかった。
今から四十年ほど前、静岡大学が移転していった跡地で、演劇センター68/71、通称黒テントが『阿部定の犬』を上演した。興行の世話人は静岡大学の学生―たしか「らせん劇場」の母胎となったグループだと記憶している―だった。観客はほとんどが大学生だったが、その中にローティーンの僕や、酒に酔った「労務者」がいた。酔っぱらいは舞台上で照明を浴びている新井純に、しきりに声をかけていた。「ねーちゃんキレイだなあ、キレイだぞねーちゃん」と阿部定役の新井純を賛美した。
そのうち、眼鏡をかけた、どこから見てもインテリの大学生が酔っぱらいに警報を発令した。「うるさいよ、静かにしてくれよ」。作業着を着た「労務者」は、なおも新井純を讃え続けた。インテリ野郎は立ち上がって酔っぱらいの胸ぐらをつかむと、「酔っぱらってんだろあんた、邪魔だから出てってくれ、迷惑なんだよ」と判決を下し、なけなしの有り金をはたいて(※想像)黒テントの当日チケットを買った(※想像)オッチャンを劇場の外の暗い荒れ地に叩き出した。
インテリ野郎の行為は「正義」だったのだろうか。彼の行為は観客席の総意だったのだろうか。今夜の「飲み代」を観劇チケットに換えたオッチャンの「観る権利」は、舞台上で進行する物語に参加してしまった咎で、剥奪されてしまったのだろうか。インテリ野郎の行為に干渉しなかった劇団側は、観客席は自治空間であるから、客席内でトラブルが生じたらそれは観客同士で処理するべきだと考えているのだろうか。
そして「虚構地獄」に落ちている僕は、あれは劇団の「仕込み」だったのかもしれないとついつい思ってしまう。
水族館劇場の観客席でワアワアやっていた女性は何者だったのだろう。その日、たまたま通りかかった会場でポスターを眼にし、「一条さゆり」の物語だからということで飛び込んできたらしい。終演後、女性は興行世話人を捕まえて、「これで一座のみんなに一杯飲ませてあげて」と酒代を渡していった。
「こころ」の声をそのまま口に出してしまうような人たちには、今の世の中は生きにくいかもしれない。彼らはマイノリティであり、「異物」であり、「ノイズ」であるからだ。
昔々、黒テントの舞台に「こころ」の声を発してしまった異物者は、演劇空間から排除されてしまった。それから四十年後、水族館劇場の舞台に「こころ」の声を投じる異物者は、そこに留まることを許されていた。いったい、そこに境界線を引いたのは何者だったのだろう。
(終わり)