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蒲菖亭(あべの古書店主人)
蒲菖亭(あべの古書店主人)

2023年10月22日

『宇津ノ谷の十団子』

東海道は静岡市の安倍川を西へ渡ると、丸子、岡部、藤枝宿とつづく。丸子から岡部の間には宇津ノ谷峠がある。峠越えする山道は、古くから蔦の細道と呼ばれ、万葉の和歌にも詠われた名所だった。
江戸時代の中頃まで、岡部に尊龍寺という寺があった。住職の貞山和尚はまだ三十代の若さであった。地元の人ではなく、もとは歌舞伎役者だったと噂されていたが実際どうだったのかは判らない。和尚は祐念という幼い小坊主と一緒に寺で暮らしていた。祐念は生まれて間もないところを宇津ノ谷に捨てられ、それを見つけた村人が寺に預けたのだった。
ある年の夏、貞山和尚が流行病にかかった。身体のあちこちで血の流れが止まり、そこに血液が溜まってしまう悪質な病である。放置すれば患部は化膿し、やがて壊死する。溜まった悪い血を瀉血するのが有効な対処療法だったが、まだ医療が未開な時代には、肌を刃物で切開し、口で血を吸い出すくらいしか治療法はなかった。
血が溜まる部位が手足であれば、和尚が自分で対応することは出来る。だが、背中や頭部や、口が届かない場所に血だまりが出来れば、その血は誰か他人に吸い出してもらわなければならず、それが小坊主の祐念の役割だった。
治療には半年近くかかったが、ともあれ、貞山和尚の病は癒えた。
冬が来ていた。その頃から宇津ノ谷の峠に鬼が出るようになった。日が暮れてから峠越えをする旅人を襲っては喰らう。はじめは狼か山犬の仕業だと思われていたが、何人もの目撃者があらわれて、鬼の出没が確認された。この話は貞山和尚の耳にも届き、和尚はたいへん困惑した。というのもしばらく前から、小坊主の祐念が、真夜中になるとふらふらと外へ出て行く、いわゆる夢遊病のようなものになっていたのである。原因はかいもく見当が付かない。眠りながら裸足で外出し、明け方、足を泥だらけにして帰ってくる。本人にはその時の記憶はまったくなく、夜中に出歩いた翌日などは、病んでいるというよりも、むしろ元気になっているようだ。特に害がないようであればしばらく様子をみるのだが、鬼が出るとなれば話は別である。
その夜、貞山和尚は床についても寝ずに真夜中を待った。枕元の蝋燭の明かりがふいに消えた。家の中に風が入ったのである。木戸を開けるような音は何もしなかったが、祐念が出ていったのだと和尚は気づき、蒲団から抜け出した。
月夜であった。冬の月明かりは明るかった。祐念の小さな影が、とぼとぼと宇津ノ谷の峠道につづく坂を登って行く。
貞山和尚は寺に伝わる鉄の錫杖をつかんで、祐念の跡を追った。もしもの場合のため、鬼に襲われた場合に備えて、なんの役にも立たぬかもしれないが、霊力が備わると言われる錫杖である、なにもないよりはましだと思った。
祐念がふらふらと揺れながら歩く。間を置いて、足音をたてぬように和尚が歩く。祐念がどこへ行き、何をしているのか、今夜こそそれをつきとめる心づもりだった。
峠の中程まで来た時、厚い雲が月を隠した。あたりは黒暗になった。なにも見えない。ざあっと風が吹き、周囲の木々の枯れ葉が散った。雲が流れ、月明かりが戻ってくると、貞山和尚の目の前に鬼がいた。和尚を遥かにしのぐ身の丈、裸の身体が剛毛に覆われ、手足の爪は獣のように鋭い、開いた口から牙がはみだし、瞳のない眼は白かった。和尚は恐怖にすくんだ、全身の筋肉に今すぐ逃げろと危険信号が送られた。しかしそれは一瞬だった。鬼の顔の額にある、冬の星座のような三つ並んだホクロに気づいた和尚は、たちまち冷静になった。三つ並んだホクロは、小坊主の祐念の額にあるホクロと同じものだったのである。
お前を喰う、と鬼は言った。貞山和尚は理解した、自分が悪かったのだ、自分が患った病の治療を祐念に手伝わせ、毎日のように悪い血を祐念に吸わせたために、祐念は血の味をおぼえてしまった、人の道を外れてしまい、祐念は鬼になった、あのように浅ましい存在になってしまった、そうさせたのは他でもない、自分なのだ。
祐念、と和尚は声をかけたが、鬼はそれには答えず、もう一度、お前を喰う、と言って、一歩和尚に近づいた。
わかった、儂を喰うのはかまわない、だがその前に、ひとつ頼みがある、と和尚は言った。
何だ、と鬼が呻った。「お前たち鬼は、どんなものにも姿を変えることが出来るそうだが、それは本当なのか」「本当だ」「では天竺の象という生き物になってくれんか」「たやすいことだ」。チリンと鈴が鳴るような音がして、目の前に巨大な象がいた。「さあ、お前を喰う」と象が吠えた。「ほうたいしたものだ、だが獣になれても草木にはなれまい」「たやすい」。チリンと鈴が鳴るような音がして、目の前に銀杏の大樹が立った。「これで終わりだ、お前を喰う」と銀杏の樹がざわめいた。「ほうますますたいしたものだ、だが大きなものにはなれても、小さなものにはなれまい、儂の手のひらにのる水晶の玉になってくれんか、お前の術が優れていても命のない石にはなれぬだろう、なれたら儂を喰らうがよい」。「次はないぞ」と悲鳴のような声がして、貞山和尚の左の手のひらにこぶし大の丸い水晶があらわれた。
「すまなかった祐念、成仏しろ」と和尚はこころで唱え、鉄の錫杖を水晶玉に振り下ろした。鬼が変化した水晶は、落雷のような音とともに砕け散った。石のかけらは全部で十個あった。不思議な事に破片は真珠のように丸かった。貞山和尚は飛び散った十個の玉を拾い集め、それを繋いで数珠を作った。
以来、岡部では、小さな十個の餅を糸で繋いだ「十団子」が魔除け・厄除けの名物となった。今でも岡部の「慶龍寺」では、毎年八月二十四日の縁日に、この「十団子」が境内で売られている。
貞山和尚が住職をつとめた尊龍寺と、「十団子」の慶龍寺が同じ寺なのかは判らない。一説によれば和尚は再び同じ病にかかり、非常に苦しんだが決して治療しようとはせず、避けようのない運命なのだと自ら食を断ち、即身成仏の境地に至ったと伝わる。

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Posted by 蒲菖亭(あべの古書店主人) at 22:48│Comments(0)演劇
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