2019年06月03日
四年前
四年前の今日、こんなことを書いていた。
ということは四年前の明後日がその日。明日は「天安門事件」の日。
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八十年代の始め、マジカルパワーマコと出会った。
僕はずっと昔、中学生の頃からマコの音楽を聴いていて、自作演劇の背景音楽にもマコの曲をよく使っていた。
どういう経緯でそうなったのか思い出せないのだが、僕とY子の演劇上演に、マコが即興で音楽を付ける、そんなセッションでライブハウスや寺社や廃墟をまわった。
平穏無事な演劇から、演劇ではない演劇に踏み込むきっかけがマジカルパワーマコだった。
演劇ではないものから演劇を引き出すのはなかなか難儀なもので、僕は演劇ではない場所を二十年巡礼し、前世紀末にようやく「賢者の石」として十六歳の少女を見つけたのだが、僕の社会的立ち位置はクズすぎて、性的変質者の濡れ衣を含む散々な非難をあび、探究は断念せざるをえなかった。
更に十五年が過ぎ、なにかが終わろうとしている場所で、僕はプリマ・マテリアたる かつての少女 と再会した。
まだ何も始まっていないのに終わるのですか、と彼女が言う。
それは僕が書いた歌詞の、 「こんな風に世界が終わってしまって、あなたはそれでいいの?」 変奏だった。
僕はそれを、そのパスワードを民族虐殺の砂漠で拾った。
ロックが解除され、さまざまな邪が、憎しみが、絶望が戻ってきた。ひさしぶりだなトモダチ。
明後日、僕は京都でマジカルパワーマコと同じステージに立つ。
演劇ではない演劇は「言触」という名前がついた。僕と伊澤恵美子―怪物を飼う少女だった―が言触を実演し、マコが即興で音楽を付ける。マコとの最後のセッションから三十四年が過ぎている。
僕は、なにも変わらず、なにモノにもなれなかった者だ。虫や草花やカラスを相手に演劇を上演する人格破綻者だ。
けれどもようやく、僕はずっと昔に幻視した演劇の中にいる。
Ayame 言触師
ということは四年前の明後日がその日。明日は「天安門事件」の日。
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八十年代の始め、マジカルパワーマコと出会った。
僕はずっと昔、中学生の頃からマコの音楽を聴いていて、自作演劇の背景音楽にもマコの曲をよく使っていた。
どういう経緯でそうなったのか思い出せないのだが、僕とY子の演劇上演に、マコが即興で音楽を付ける、そんなセッションでライブハウスや寺社や廃墟をまわった。
平穏無事な演劇から、演劇ではない演劇に踏み込むきっかけがマジカルパワーマコだった。
演劇ではないものから演劇を引き出すのはなかなか難儀なもので、僕は演劇ではない場所を二十年巡礼し、前世紀末にようやく「賢者の石」として十六歳の少女を見つけたのだが、僕の社会的立ち位置はクズすぎて、性的変質者の濡れ衣を含む散々な非難をあび、探究は断念せざるをえなかった。
更に十五年が過ぎ、なにかが終わろうとしている場所で、僕はプリマ・マテリアたる かつての少女 と再会した。
まだ何も始まっていないのに終わるのですか、と彼女が言う。
それは僕が書いた歌詞の、 「こんな風に世界が終わってしまって、あなたはそれでいいの?」 変奏だった。
僕はそれを、そのパスワードを民族虐殺の砂漠で拾った。
ロックが解除され、さまざまな邪が、憎しみが、絶望が戻ってきた。ひさしぶりだなトモダチ。
明後日、僕は京都でマジカルパワーマコと同じステージに立つ。
演劇ではない演劇は「言触」という名前がついた。僕と伊澤恵美子―怪物を飼う少女だった―が言触を実演し、マコが即興で音楽を付ける。マコとの最後のセッションから三十四年が過ぎている。
僕は、なにも変わらず、なにモノにもなれなかった者だ。虫や草花やカラスを相手に演劇を上演する人格破綻者だ。
けれどもようやく、僕はずっと昔に幻視した演劇の中にいる。
Ayame 言触師
Posted by 蒲菖亭(あべの古書店主人) at 23:59
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