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蒲菖亭(あべの古書店主人)
蒲菖亭(あべの古書店主人)

2023年12月08日

「十三仏」その4

宮城県白石市大鷹沢三沢字八枚田の孝子堂は宮城野・信夫の姉妹を祀っている。
史跡となっていて、案内板にはこう書かれている。

《宮城野(実名・まち)・信夫(実名・おその)及び父与太郎の霊を祀り、大正十五年四月孝子堂を建立、静岡市来迎院から姉妹の守護仏弁財天を迎えて安置してあります。》

白石市の孝子堂には来迎院から移された弁財天があるようだ。来迎院が出しているガイドにもそれは記されている。
《大正七年(一九〇〇)に、十三佛堂が新築された。この堂は孝子堂へ弁財天像も移された。》
少々意味が判らない。まず大正7年は1900年ではなく1918年である。これは完全に誤り。続く文章もおかしいが、「大正7年に、来迎院で十三仏堂が新築された。弁財天像は(白石市の)孝子堂へ移された」と解釈する。
ネット上では孝子堂の弁財天の画像が一枚も見つからない。本当に弁財天は孝子堂にあるのだろうか。

また来迎院のガイドを引用する。
《やがて慶安四年(一六五一)に正雪が幕府転覆を企てるも、未然に発覚し、駿府梅屋旅館にて自刃した。その首級は安倍川原にさらされた。これを知った姉妹は駿府に赴き、師の首級を盗み出して葬り、刑場に近い弥勒の正念寺内に庵室を結んだ。姉妹は、その庵に、十三体の仏像を安置し、父や正雪さらには団七も含めた十三人の菩提を弔ったという。さらに彼女らは尼となり一生涯その身を供養に捧げた。なお宮城野・信夫姉妹は日本孝子伝にも列せられている。》

庵室とは尼僧が居住する小屋である。宮城野信夫は弥勒の正念寺に庵寺を設け、そこに十三仏を置いて正雪たちを供養したと。尼なったことは白石市の宮城野信夫を紹介する記事と一致する。

では黒澤脩の「家康公の史話と伝説とエピソードを訪ねて」にあげた情報は誤りなのだろうか。
黒澤文では、由比正雪の首を盗み出したのは正雪の遠縁のもので、ネット上のブロガーたちはこれを引用している。
黒澤文では、弥勒町の檜稲荷に十三仏があり、その情報の出典は『本朝諸数 伊豆・駿河・遠江』である。しかしそのような文書・典籍の存在は、少なくともネットでは確認できない。
まさか著名な学者が偽歴史を堂々と広めるとは思えない。当方が無学なだけだろう。

続く。

「十三仏」その4

画像は来迎院の「十三仏堂」。

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Posted by 蒲菖亭(あべの古書店主人) at 21:11│Comments(0)アーカイヴ
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