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蒲菖亭(あべの古書店主人)
蒲菖亭(あべの古書店主人)

2023年12月08日

「十三仏」その2

大御所四百年祭の折に黒澤脩が書いた「家康公の史話と伝説とエピソードを訪ねて」には、正雪の首について次のような記事がある。

《由比正雪の首は、この河原に曝(さら)されていた。その首は、遠縁にあたる女性が盗み出して寺町の菩提樹院に埋葬した。》

この記述では弥勒の由比正雪首塚が存在しない。首はいきなり菩提樹院に埋葬されている。
正雪の死去は慶安4年(1651年)なので、屍の損耗を考えれば、その1、2年後には《遠縁にあたる女性》が晒し首を奪還しているのだろう。寺町にあった菩提樹院は昭和15年(1940)の静岡大火で焼失したため、沓谷に移転した。「正覚山菩提樹院」、寺号がない。ますます判らない、山・院・寺問題。
それで、《遠縁にあたる女性》って誰?問題。
菩提樹院ではどう言っているのだろうか。
菩提樹院のインターネットサイトは見つけられなかったが、好事家がブログで以下のように紹介している。

《安倍川の河原でさらし首とされていたが、縁者が密かに運び出され菩提樹院に葬ったと言われている。》

これは!「と言われている話法」!
筆者は黒澤脩の記事を使ったか、あるいは黒澤と同じソースを参照したのだろう。
「静岡観光お出かけガイド」というサイトが《安倍川の河原でさらし首にされた後、縁者が菩提樹院に葬り五輪塔を建てて供養しました。》と、他とほぼ同文の紹介。しかしこの案内で正雪の首塚には五輪塔がたっていると判った。
それで、《縁者》とは誰?問題。
おやおや、このようにも書かれている。

《その首を盗んだ縁者が、寺町(現在の常盤公園の場所)にあった菩提樹院に首を葬り、五輪塔を建てて供養。
昭和21年(1946年)に実施された静岡市の区画整理により、首塚は菩提樹院とともに現在地に移転されています。》

五輪塔は江戸時代から寺町の菩提樹院にあった、と。
首塚の移転は昭和21年(1946)以降である、と。
すると昭和15年の静岡大火から昭和21年までの間、菩提樹院はどうなっていたのだろう。寺町は焼け跡のままだったのだろうか?

続く。

「十三仏」その2

虚無僧姿のハンサムキャラが由比正雪。

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Posted by 蒲菖亭(あべの古書店主人) at 20:58│Comments(0)アーカイヴ
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