2023年11月02日
『大連医院の看護婦』
失礼いたします、お呼びでしたか、旦那様?
私宛に手紙が届いている? これですか?
まあ、満州から。
はい、判ります、私が大連医院に勤めていた頃の同僚です。
ええ、大連医院です。
ああ、旦那様はこの町にいらして間もないですから、昔の事はご存じないのですね。
子供たちが聖ヨハネサナトリウムと呼んでいる療養所が宮下町にありますでしょう、ええ、山本医院、あの病院が震災前までは大連医院だったのです。
懐かしいですね。とても懐かしいです。
三階建ての洋館、半円形のバルコニー、中庭の噴水、フランス窓と消毒液の匂い、白い清潔なカーテン。
住み込みで勤務していた私たちは、同じ部屋を使っておりました。
部屋の壁には彼女が貼った写真があります。
サグラダ・ファミリア。
スペインの建築家が設計した教会です。
今も普請中なのです。なんでも完成までには三百年かかるそうなのです。
それから私たちは最新式の蓄音機を持っていました。
レコードはサティのピアノ曲集が一枚きりでしたが、毎日飽きもせず、くり返しくり返しその旋律に耳を傾けました。
私たちは仲の良いともだちだったのですよ。
いろいろな事を語り合いました。
特に芸術の話では、私たちはとても気が合いました。
小説の話、絵画の話、演劇の話、音楽の話、映画の話。
いま思い出しましたが、彼女は大陸に渡るとき、映画女優になるのだと言っていました。
手紙には甘粕さんのお世話になっていると書かれていますから、きっと映画関係のお仕事をしているのでしょうね。
はい、満州映画会社総裁の甘粕正彦さん、ええ、そうです、元憲兵隊長の。
関東大震災のどさくさの時に、甘粕さんは主義者の夫婦とその子供まで殺してしまったそうですが、いまのご時世は人殺しでも芸術家になれるんですね。
いえ、私は主義者には共感しませんけど、頑是無い子供まで殺めたと聞くと心が痛みます。
彼女がそんな人の仲間だと思うと、ちょっと複雑な気持ちです。
山本医院の建物をぐるりと取り囲んで十二本の桜の樹が立っていますね。
判りますか?
私が勤めはじめた当時は、病院の桜の樹は十三本あったのです。
でも、その十三という数を嫌った患者さんがいたのです。
それは桜が満開の四月のある日、入院していた男性の患者さんが、どこからかエンジンのついたチェーンソーを院内に持ち込んだのです。
男は周囲の者が止める間もなく不運な桜の樹を伐り倒してしまった。
そして仕事を終えると、チェーンソーを掴んだまま病院長の部屋にのりこみ、桜の樹を伐ったのはわたしです、わたしが伐りましたと喚きちらしたのです。
怒った院長はその患者を地下室に監禁してしまいました。
ええ、病院長だった伴五郎先生。
桜を伐った男は、二度と地下の暗がりから出てくることはありませんでした。
そのまま放置されてしまったとか、震災で地下室が埋まってしまったとか、いろいろ噂がありましたが、本当のところは判りません。
そういえば、地下室の鍵を持っていたのは彼女でした。
この手紙の彼女です。
彼女と伴先生で、チェーンソー男を地下室に放り込んだのです。
もし今でも、小さな石碑が庭の隅に残っていれば、そこにはローマ字で「ワシントン」と刻まれているはずです。
ワシントンは院長が飼っていたセントバーナード犬の名前ではなくて、桜を伐った患者の事なのです。
石碑は男の墓だと誰かが言っていました。
あっ、いま急に思い出したことがあるのですが、お話ししてもよろしいでしょうか?
はい。
病院の患者さんに、自分を看護婦だと思っている女性がいたのです。
看護婦の制服を盗んできては、それを着て病院の中をうろうろするのですが、あんまり堂々としているので他の患者さんたちはうっかりして本物の看護婦だと思ってしまうのです。
すると女性は勝手に患者さんを診察したりでたらめな治療を行ったりするのです。
ベッドで寝たきりの患者さんにいい加減な点滴をしてしまった時は、病院中大騒ぎになりました。
それでも頭の良い女性でしたから、そのうち病院長が思いついて、わたしたち正規の看護婦の下働きをさせるようにしました。
そういえば、地下室の鍵を持っていたのは彼女でした。
え? この手紙を書いた女? 私、そんな事を言いましたか?
--
さて、これがぼくたちがあの人から聞いた話だ。
あの人の語りはまるで映画をみているようだった。
ぼくたちの頭の中に戦前の宮下町がくっきりと立ち上がった。
狭い裏路地はミノタウロスの迷宮のように複雑怪奇に交錯している。
迷路の中心に一ヶ所だけ、抜け道のない袋小路がある。
そのつきあたりに十二本の桜の樹に囲まれた大連医院があった。
いまでは建物は跡形もなく、敷地は月極の駐車場になっていて、一本だけ桜の樹が残っている。
白いプラスチックのプレートが取り付けられていて、エリザベートとカタカナで書かれている。
あの人が言っていた石碑、ワシントンと刻まれた石碑はない。どこかに埋まっていて、見つからないだけかもしれない。
エリザベートが一本だけになった桜の樹の名前であると判ったのは、タバコ屋の老人の昔話からだ。
大連医院の桜の樹のうち、毎年春の訪れと共に真っ先に花を咲かせ、他のどの樹よりも長く花を散らさずにいる樹がエリザベートと呼ばれていた。老人は名前の由来までは知らなかったが、桜の樹は老木ほど早く開花すると教えてくれた。
エリザベートはあの人の病室の目の前に立っている。南に面した窓を開けて身を乗り出せば、エリザベートの枝先に手が届く。風がざっと吹けば花びらが病室のベッドのシーツの上にも散ったかもしれない。衛生観念がいまよりもずっとゆるい時代には、そんなことも可能だった。
どこまでが本当なのか。たぶん全部つくり話だ。甚だ怪しげな逸話であり、出来過ぎた事件であり、そもそも桜の樹を伐り倒した患者の話にしても、当時の日本にはエンジン式のチェーンソーはなかったはずだ。けれどもぼくたちのような子供にとっては、それが定説で、またぼくたちには、あの人の話を嘘だと追求すべき理由もなかったのだ。
私宛に手紙が届いている? これですか?
まあ、満州から。
はい、判ります、私が大連医院に勤めていた頃の同僚です。
ええ、大連医院です。
ああ、旦那様はこの町にいらして間もないですから、昔の事はご存じないのですね。
子供たちが聖ヨハネサナトリウムと呼んでいる療養所が宮下町にありますでしょう、ええ、山本医院、あの病院が震災前までは大連医院だったのです。
懐かしいですね。とても懐かしいです。
三階建ての洋館、半円形のバルコニー、中庭の噴水、フランス窓と消毒液の匂い、白い清潔なカーテン。
住み込みで勤務していた私たちは、同じ部屋を使っておりました。
部屋の壁には彼女が貼った写真があります。
サグラダ・ファミリア。
スペインの建築家が設計した教会です。
今も普請中なのです。なんでも完成までには三百年かかるそうなのです。
それから私たちは最新式の蓄音機を持っていました。
レコードはサティのピアノ曲集が一枚きりでしたが、毎日飽きもせず、くり返しくり返しその旋律に耳を傾けました。
私たちは仲の良いともだちだったのですよ。
いろいろな事を語り合いました。
特に芸術の話では、私たちはとても気が合いました。
小説の話、絵画の話、演劇の話、音楽の話、映画の話。
いま思い出しましたが、彼女は大陸に渡るとき、映画女優になるのだと言っていました。
手紙には甘粕さんのお世話になっていると書かれていますから、きっと映画関係のお仕事をしているのでしょうね。
はい、満州映画会社総裁の甘粕正彦さん、ええ、そうです、元憲兵隊長の。
関東大震災のどさくさの時に、甘粕さんは主義者の夫婦とその子供まで殺してしまったそうですが、いまのご時世は人殺しでも芸術家になれるんですね。
いえ、私は主義者には共感しませんけど、頑是無い子供まで殺めたと聞くと心が痛みます。
彼女がそんな人の仲間だと思うと、ちょっと複雑な気持ちです。
山本医院の建物をぐるりと取り囲んで十二本の桜の樹が立っていますね。
判りますか?
私が勤めはじめた当時は、病院の桜の樹は十三本あったのです。
でも、その十三という数を嫌った患者さんがいたのです。
それは桜が満開の四月のある日、入院していた男性の患者さんが、どこからかエンジンのついたチェーンソーを院内に持ち込んだのです。
男は周囲の者が止める間もなく不運な桜の樹を伐り倒してしまった。
そして仕事を終えると、チェーンソーを掴んだまま病院長の部屋にのりこみ、桜の樹を伐ったのはわたしです、わたしが伐りましたと喚きちらしたのです。
怒った院長はその患者を地下室に監禁してしまいました。
ええ、病院長だった伴五郎先生。
桜を伐った男は、二度と地下の暗がりから出てくることはありませんでした。
そのまま放置されてしまったとか、震災で地下室が埋まってしまったとか、いろいろ噂がありましたが、本当のところは判りません。
そういえば、地下室の鍵を持っていたのは彼女でした。
この手紙の彼女です。
彼女と伴先生で、チェーンソー男を地下室に放り込んだのです。
もし今でも、小さな石碑が庭の隅に残っていれば、そこにはローマ字で「ワシントン」と刻まれているはずです。
ワシントンは院長が飼っていたセントバーナード犬の名前ではなくて、桜を伐った患者の事なのです。
石碑は男の墓だと誰かが言っていました。
あっ、いま急に思い出したことがあるのですが、お話ししてもよろしいでしょうか?
はい。
病院の患者さんに、自分を看護婦だと思っている女性がいたのです。
看護婦の制服を盗んできては、それを着て病院の中をうろうろするのですが、あんまり堂々としているので他の患者さんたちはうっかりして本物の看護婦だと思ってしまうのです。
すると女性は勝手に患者さんを診察したりでたらめな治療を行ったりするのです。
ベッドで寝たきりの患者さんにいい加減な点滴をしてしまった時は、病院中大騒ぎになりました。
それでも頭の良い女性でしたから、そのうち病院長が思いついて、わたしたち正規の看護婦の下働きをさせるようにしました。
そういえば、地下室の鍵を持っていたのは彼女でした。
え? この手紙を書いた女? 私、そんな事を言いましたか?
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さて、これがぼくたちがあの人から聞いた話だ。
あの人の語りはまるで映画をみているようだった。
ぼくたちの頭の中に戦前の宮下町がくっきりと立ち上がった。
狭い裏路地はミノタウロスの迷宮のように複雑怪奇に交錯している。
迷路の中心に一ヶ所だけ、抜け道のない袋小路がある。
そのつきあたりに十二本の桜の樹に囲まれた大連医院があった。
いまでは建物は跡形もなく、敷地は月極の駐車場になっていて、一本だけ桜の樹が残っている。
白いプラスチックのプレートが取り付けられていて、エリザベートとカタカナで書かれている。
あの人が言っていた石碑、ワシントンと刻まれた石碑はない。どこかに埋まっていて、見つからないだけかもしれない。
エリザベートが一本だけになった桜の樹の名前であると判ったのは、タバコ屋の老人の昔話からだ。
大連医院の桜の樹のうち、毎年春の訪れと共に真っ先に花を咲かせ、他のどの樹よりも長く花を散らさずにいる樹がエリザベートと呼ばれていた。老人は名前の由来までは知らなかったが、桜の樹は老木ほど早く開花すると教えてくれた。
エリザベートはあの人の病室の目の前に立っている。南に面した窓を開けて身を乗り出せば、エリザベートの枝先に手が届く。風がざっと吹けば花びらが病室のベッドのシーツの上にも散ったかもしれない。衛生観念がいまよりもずっとゆるい時代には、そんなことも可能だった。
どこまでが本当なのか。たぶん全部つくり話だ。甚だ怪しげな逸話であり、出来過ぎた事件であり、そもそも桜の樹を伐り倒した患者の話にしても、当時の日本にはエンジン式のチェーンソーはなかったはずだ。けれどもぼくたちのような子供にとっては、それが定説で、またぼくたちには、あの人の話を嘘だと追求すべき理由もなかったのだ。
Posted by 蒲菖亭(あべの古書店主人) at 01:26│Comments(0)
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