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蒲菖亭(あべの古書店主人)
蒲菖亭(あべの古書店主人)

2023年11月14日

下村声峰

 時代の進歩と科学の発達によって、銅鉄や石材に替る廉価でかつ堅牢なコンクリートが世上に現われてから、既に数十年を経過、日毎に研究されてきている。
 そして堅牢なコンクリート製彫刻や塑像が、続々世上に出現するようになったことは実に喜びの限りである。
 戦前、九州別府と、名古屋に、奈良の大仏より遥かに大きな大仏がコンクリートで作られた。ついで群馬県高崎市の音羽山に、高さ四十一米という巨大な白衣観音が製作され、世男一ともいわれていたが、又々戦後洛陽高台寺に霊山観音が開眼された。技術の進歩の著しきには驚かされるものがある。
 大慈悲の名仏彫塑家と肩をならべて、その技を高く評価された人に声峰下村三代吉翁があった。翁は明治十五年六月、静岡県焼津市に生れ、明治四十二年東都に出て左官業務のかたわら、画家の指導を受け彩管の道にも勤しんだ。
 大正九年静岡市に帝国鉄筋コンクリート会社誕生するや、その社の工務員として、遠く北海道帯広市に往し、鉄筋コンクリート工事に従事し、大正十二年静岡市に来住、十三年相生町に居を構えた。昭和十三年に再び焼津市に移り住んだ。
 翁は夙に漆喰彫刻に長じ、人物塑像、花鳥、動物等の製作に巧みで、先輩巨匠、森田鶴堂翁に次ぐ名手として世上既に定評のある人であり、昭和五年頃より、鉄筋コンクリートセメント製仏像製作の研究に着手せられ、将来必ずや斯うした技術は進歩し、その利用度の多きを推察、極力その道の大家について指導を受け、且つ研究の結果、その手初めに静岡県伊豆国下田在、来宮神社の御神像を、精進潔斎して謹製した。
その一生を終るまで、大作、小作数十を数えるほどであった。主なるものに

 静岡県志太郡藤枝市火葬場地蔵尊、身長六尺五寸、昭和十年開眼
 静岡県浜名郡館山寺山頂聖観世音、身長三十三尺五寸、昭和十年開眼

 この御像が浜名湖上より二百尺、同湖畔随一の景勝地である館山寺の山頂に安置せられた偉観は、名実共に東海一の眺めで称がある。
 尚同観音は、弘法大師一千百年遠忌を機に、その御偉業と御聖徳を追慕して、この由緒を広く中外に紹介するため、館山寺保勝会と浜松地方有志の発起によって建設せられたもので、この工事も約半歳の日時と巨額な浄財にてまかなわれた、令息平八郎も完成まで助手として従事した。

 神奈川県津久井郡葉山島東林寺、弘法大師、身長六尺五寸、昭和十年十月開眼
 静岡県伊豆下田町、浦島太郎、身長一丈八尺、昭和十一年九月開眼
 浜松市火葬場、地蔵尊、身長二十二尺、台座十二尺、昭和十一年九月開眼

この像の台に左記和歌が認めてある。

    万人の仏性宿す地蔵尊
        今ぞ浮びて功徳広大

 神奈川県津久井郡葉山小学校、二宮金次郎、身長四尺五寸、昭和十一年十二月開眼
 静岡市大浜公園、山田長政公
 浜松市瑞雲寺、観世音、昭和十二年七月十六日開眼
 志太郡滝之谷不動峡、不動尊、身長一丈六尺、昭和十二年八月四日開眼

この地は渓谷百景の一になっている場所である。

 焼津市横町北之辻、猿田彦命、身長六尺五寸、昭和十二年七月開眼
 藤枝市成田山、開祖像、身長六尺五寸、昭和十三年十二月十日開眼

又焼津市小川の海蔵寺には、

 武将出陣之図、一之谷敦盛呼返之図、賽の河原の図

の三面の額が極彩色で美事に塗られ掲げられてあるが、作は昭和十七年八月の製作である。尚焼津市塩津の菩提寺、時宗阿弥陀寺には毘沙門天外七謳の仏像の作品がある。
 磐田郡袋井町村松の医玉山油山寺に建立の茶祖栄西禅師の御像は住職鈴木快存師の発願にかかり、県内の茶業界有志の浄財其他に依って建立せられた。身長二十尺、台座十五尺。昭和二十五年九月一日より十一月末まで精魂を傾けて、献身的に施行した。筆者もその折り、助手として之にたづさわった。その間、竜宮城と浦島太郎、乙姫の等身大の塑像も作製せられた。
 塑像としての作品はこれが最終のものとなった。この折翁は古稀の齢であったが、三十余尺の高い足代の上でも高齢者という足取りではなく、その意気、精神は若い者をしのぐ程で浙った。
 尊像開眼式は、昭和二十七年五月三日の新茶の季八十八夜当日であったが、あいにくと声峰師は病気療養中であったので参列する事が出来得なかった。筆者は式場で扇の禅師讃歌を代読した。

    誠心をこめて吾が手に塗り上げし
        御像拝がめばにことほほ笑む

 ついでに筆者の吟は

    国富ます宝のお茶を植え初めし
        禅師の徳や今日ぞ輝やく

 当日の式典参列者は、河井弥八氏、足立篤郎氏、袋井町長其他六百有余名を算える盛大であった。声峰師の大作は以上の如きであるが、其他東郷元帥、乃木将軍、楠公、二宮金次郎又一般家庭よりの依頼の立像、額、壁画、擬石、擬木は数えきれない程ある。特に真にせまって良く出来たものに焼津市、村本千代子先生の等身大の座像があるが。実に生けるが如き寿像である。神奈川県へは屡々出張し、中にも高座郡上溝の中村医院の院長胸像は、昭和二十七年春一月の製作で最後の作品となった。
 またかつて焼津市の渡仲、小山両氏が主となり、近辺の同業の子弟を集めて翁を師と仰ぎ講習会を開き、その指導に当り、後進の進歩向上に尽くされた。翁は昭和二十七年二月より病床に臥し、遂に立たず、同二十八年三月二日、七十三歳の高齢を以って焼津市昭和通りの自宅で永眠せられた。
 同市阿弥陀寺にその墓がある。翁は極めて無慾淡白な性質で酒はたしなんだが、酔えば必ずにこにこと笑いをうかべる笑い上戸であり、常に無口で遠慮がちであった。煙草は大好きで手から離した事がなかった。
 筆者は、政教社を訪れるたびに玄関を守って居る塑像とは思えない、今にも吠え出しそうな洋犬を見て、声峰師の作品の生きているような感じを想うにつけ、その鏝先の妙技や貴さをば心中に回想する。


(白鳥金次郎『静岡名人畸人傳』-「下村声峰」)

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Posted by 蒲菖亭(あべの古書店主人) at 18:00│Comments(0)アーカイヴ
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