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蒲菖亭(あべの古書店主人)
蒲菖亭(あべの古書店主人)

2023年12月08日

「十三仏」その1

十三仏が英長寺にあると書いた本があったので、それは違うだろう十三仏があるのは来迎院だぞ、と思ったのだ。
違わなかった。
来迎院は英長寺という。
私は「院号」と「寺号」の使い分けが判らない。さらに「山号」がある。○○山△△院□□寺と正式には言うようだ。いろいろ判らない。義務教育の授業でちゃんと習っておけばよかった。
十三仏のこともよくは知らなかった。
私の知識は、
昔々弥勒に十三仏があったが横内の来迎院に移された、そして十三仏は由比正雪と関わりがあるらしい、
この程度だった。
私が知るところをもう少し広げると、
江戸時代の前期、現在の静岡市宮ヶ崎に由比正雪が生まれた。
江戸に出て軍学者となった。幕府転覆を謀ったが計画が露見した。
これは本人には謀反の意志はなく、軍学として江戸城攻略のシミュレーションを弟子たちとともに机上で行ったことが問題になった。
正雪は幕府から指名手配され、静岡市人宿町の旅館で追っ手に囲まれたため自害した。
遺体は斬首され、その首が現在の安倍川橋東側の弥勒にさらされ、後に同所に正雪の首塚ができた。そばに十三仏を奉る堂宇が置かれた。
首塚は静岡市沓谷に移され、十三仏は静岡市横内の来迎院に移された。
ひとつひとつの出来事に年号がついていなければ記録としては怪しい。「と言われている」史、というものがあって郷土史家を名乗る人たちがよく使う。家康は二人いたと言われているとか、信長は実は女だと言われている、の類いの史談。
日頃から私は「と言われている話法」を笑ってはいるが、自分も五十歩百歩である。
もう少しきちんと知っておきたいと思い、大用山来迎院英長寺をたずねた。

続く。

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Posted by 蒲菖亭(あべの古書店主人) at 20:52│Comments(0)アーカイヴ
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