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蒲菖亭(あべの古書店主人)
蒲菖亭(あべの古書店主人)

2019年02月22日

電気いも

2月26日の静岡浅間神社「せんげん塾」では、こんな話をする(手入力で写したので少々の労力であった、せっかくなのでここに残しておく)。筆者名は伏せる。

 昨今の食に対するマスコミの熱の入れ様は目を見張る許り、デパ地下の溢れる食品群の紹介、又通販では全国名産物等居ながらにして美味しいものゝ注文が出来、TVでは料理番組や旨いもの食べ歩き等、グルメと云って絶間なく放映している。過ぎ去ったかの戦中のことを思うと深い思いが湧いてくる。戦線では糧秣の補給は全くなく聯隊本部がイリサン附近の温室群を中心に布陣していたとき、これが最後の食糧給与だといって浅黄色の角砂糖大の携帯口糧を一人に二個宛丈の支給があった。これより以後部隊よりの食糧支給は一切無い。朝食は前日のうちに用意した物で済まし、すぐ昼食の調達に出掛け昼食が済むと夕食と翌朝の食糧探しに出掛けた。道路を下に見た中腹の陣地より前方には大小の山波が連なっている。上空には敵の観測機(微音なのでトンボと云った)が間断なく旋回警戒している。木の間より立ち登る煙や、日本兵の動きを見付けるとサッと飛び去り、忽ちその個所へ十数発の迫撃砲弾が飛んできた。向い側の山の中腹辺りに芋畑らしい個所を見つけた。足許の山を駈け降り又這い上がりして漸く畑地に到着、喜び勇んで掘起してみるが有るのは芋蔓と萎れた葉だけで肝心な芋は一ヶも出てこない。そうこうするうちに又トンボが見回りにくる。「危ないからその場を動くなジットうづくまっていろ」声をかけて微動もしない。暫くして敵機はなにもないとみたか間もなく飛び去る。芋はまだ出てこない。諦めかけて仕方なく畑地と山地の境辺りに手を差入れてみると「有った!!」手頃な芋がまだ残っていた。山地へ伸びた蔓の先に出来たものだ。収穫がありやっと任務が果された。これ以後芋探りには初めから畑の隅や境のみを探し一応の成果を得るようになった。他部隊が通過駐留した場所には附近一帯食べられる物は根こそぎ無くなっている状況である。部隊の移動に伴い畑等のない場所に駐留する事も度々で、この様な時には、他より伝え聞いたご馳走を調達して空腹を満たすようになった。第一にバナナ樹の芯の部分を取出して、水炊きして食す。不味くも無いし旨くもないジャグジャグして例えようがない。第二にパパイヤ樹の根の細い部分を輪切りにし同じく水炊きにする。これは牛蒡に似た口当りで味のない牛蒡をたべていると思えば我慢出来る。いずれも大切に持っている少量の塩を僅かに入れて味付けする。或る時戦友が吸物を作ったから食べてくれと飯盒の蓋に入れて持参した。中味をきくと「小鳥」だという。この辺りに小鳥がいるのかと不審に思ったが、それらしい味に何の疑いもなく喰べた。内地で時々屋台ののれんをくぐり雀の焼鳥を好んで食べたことを思い出し一瞬懐かしい想いになる。後刻小鳥について訊きたゞすと「あれは鼠の吸物です」との返事にギョッとなったが、悪い味ではなかったのでその場の笑い話とした。生還後戦地での食事情の様子をきかれたとき、この話を持出して鼠の味は小鳥の味だったと話している。「岡田聯隊長比島戦句歌集に六月中旬頃か、岡田物資収集隊長としてカバヤン方面よりプログ山麓に向いたる頃に到ると各隊共食糧の欠乏甚だしく予も生まれて始めて蛇の串焼きを食い鼠の汁を吸いたり」と記してあった。正にこの時のおすそ分けだったのに違いない。長雨が続くと山地雑木林の中での行軍は登りにしろ降りにしろ体力低下と空腹の為足がふらつき滑って尻餅をつく同行の兵の尻餅を面白がっていると次は自分の番で尻の痛い思いをする。この近辺には芋畑も全く無く、食糧調達の出来ない時はホトホト困る。目を皿にして食べられそうなものを捜し歩く。木立の薄明るい場所に出た時丁度左側足許に里芋の葉が青々と繁っていた。抜いてみると二、三球が重なりあって特有な毛に覆われた形は正に里芋である。洗って飯盒に入れ茹でる準備をする。乾いた枯葉を拾い集め、大切なマッチでまず一葉に火をつけ二葉三葉と序々に完全燃焼させてゆく。山盛りにして一度に燃やそうとすると煙が樹林より這い上がり敵の目標となり危険である。かくして芋も茹で上がった。期待を込めて一個をつまみあげ一口ガブリと喰いついた・・・・。とその途端口中に電流が流れたようなシビレが走ったので夢中で吐き出す。咽の奥までヒリヒリ痛い。とても口をふさいではいられない。暫く痺れが続いたがやっと口をすゝぎ漸く我に返り、周りの兵に注意する。他部隊の兵で空腹の余り夢中で呑込んだ結果頭が変になり隊を離れて行方不明になったと後日聞き及んだ。芋の名は「電気いも」と云った。山地一帯水路のあるところには概ね内地の春菊に似た植物が自生していた。正常な食物のない中で唯一貴重な活力源になっていた。比ぶなくもないが、いく分か春菊らしい香りと味がして有難かった。称して「南方春菊」という。
 衰弱した身体の胃袋では捜し求めた雑食に耐えられず腹を壊す者が非常に多い移動途中列を離れて脇の草叢に飛込み用をたして追求してくる。下痢患者はどこで伝え聞いたか下痢止めには炭が効果があるとかで、炊事跡の消し炭を拾って食べていた。行き交う他部隊の兵の中にも口の廻りを黒くしているのを多くみかけた。木切れの棒杖を肩にもたせかけ、足を投げ出して路肩に寄り掛かっている兵の口辺も黒く汚れていた・・・・・・。既にこと切れているようだ・・・・・・。
 敗戦となり米軍の捕虜下では三度の食探しは無用となる。敗走中は雑食駄物でも腹六分目位は満たされていたが量が少なくて皆空腹で空腹で作業のない時は寝台マットに横たわって各自お国自慢の旨いもの比べの話で時を過ごした。弾は来ないし平和な楽しいひと時でもあった。戦後五十七年冒頭の如く今正に飽食満腹ニッポンで正に隔世の感である。どんな食事でももっともっと感謝していたゞき度いと考えを新たにした。飢餓のまゝ散った多くの戦友の御冥福を心よりお祈り申し上げる次第です。

※追記
公開されている文章なので、筆者を隠す必要はなかった。
静岡市西草深、芋神様「青木昆陽」の子孫、青木七男さんが2003年に書いたもの。
もうとうに百歳を越えた方だがお元気だろうか、しばらくお見かけしないので気になっている。

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Posted by 蒲菖亭(あべの古書店主人) at 23:59 │日録古書
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