2020年09月10日
命輝寺
SNSで命輝寺が話題になっていた。
ところがウェブで検索をしてもそんな寺は見つからない。
それもそのはず命輝寺は金地院崇伝が邪教と排撃して潰し、伽藍ばかりか痕跡さえも消してしまった密教寺院だった。
(※「命輝寺 金地院崇伝 邪教」で検索)
しかし寺宝は秘かに待ち出され、「命輝曼荼羅」は重要文化財に指定されたようだ。
またネットに画像が出ている「命輝寺縁起絵巻」をみると、そこには異様な形状の本尊が描かれている。
(※リンク先参照)
https://twitter.com/hyousen/status/1301071989101096965
金地院崇伝は徳川家康の側近として家康の駿府城在城時に静岡に住んだ。
同じく家康の側近の林羅山は当時の絵図で屋敷の場所が判るが、崇伝の住居は記されていない。
一説には御器屋町(※現、西草深町)の「以心寺」が崇伝の住まう寺だったのではないかと言われる。
崇伝が「以心崇伝」という名を持っていた事からの推測である。
別の説では静岡浅間神社に隣接する丸山町の某所が崇伝の屋敷跡ではないかと言う。
なるほど、丸山町の名は景観が京都の丸山に似ていることからそう呼ばれるようになったらしい。
もしや京都南禅寺の僧侶である崇伝が郷里を思って名づけたのだと想像してみたくもなる。
そんなことを考えながらこの春に撮影した「金地院崇伝屋敷跡・仮」の画像を再確認したところ、シルシはなんとなく命輝(命輝寺本尊)のようでもあった。
ところがウェブで検索をしてもそんな寺は見つからない。
それもそのはず命輝寺は金地院崇伝が邪教と排撃して潰し、伽藍ばかりか痕跡さえも消してしまった密教寺院だった。
(※「命輝寺 金地院崇伝 邪教」で検索)
しかし寺宝は秘かに待ち出され、「命輝曼荼羅」は重要文化財に指定されたようだ。
またネットに画像が出ている「命輝寺縁起絵巻」をみると、そこには異様な形状の本尊が描かれている。
(※リンク先参照)
https://twitter.com/hyousen/status/1301071989101096965
金地院崇伝は徳川家康の側近として家康の駿府城在城時に静岡に住んだ。
同じく家康の側近の林羅山は当時の絵図で屋敷の場所が判るが、崇伝の住居は記されていない。
一説には御器屋町(※現、西草深町)の「以心寺」が崇伝の住まう寺だったのではないかと言われる。
崇伝が「以心崇伝」という名を持っていた事からの推測である。
別の説では静岡浅間神社に隣接する丸山町の某所が崇伝の屋敷跡ではないかと言う。
なるほど、丸山町の名は景観が京都の丸山に似ていることからそう呼ばれるようになったらしい。
もしや京都南禅寺の僧侶である崇伝が郷里を思って名づけたのだと想像してみたくもなる。
そんなことを考えながらこの春に撮影した「金地院崇伝屋敷跡・仮」の画像を再確認したところ、シルシはなんとなく命輝(命輝寺本尊)のようでもあった。
Posted by 蒲菖亭(あべの古書店主人) at 23:59
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