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蒲菖亭(あべの古書店主人)
蒲菖亭(あべの古書店主人)

2023年10月15日

京極夏彦

これも静岡県文化財団の依頼で書いて静岡新聞に掲載されたと記憶している。グランシップで催された「京極噺」の告知用だったと思われるが、その詳細は不明。もう忘れた。
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言葉遣い師たちの秘術

 京極夏彦の妖怪小説には、憑き物落としを行う古本屋「京極堂」が登場する。憑き物というと我々はつい狐狸妖怪悪鬼邪霊の類を想像してしまう。だが京極堂が調伏するのは超自然的な怪異ではない。人の心に巣くう魔を祓うのである。元来、魔や妖怪は物質として存在するモノではなく、形状のないコトであった。即ちコトバやデキゴトが否定的に記憶されたとき、それは憑き物となって精神を歪めてしまう。今風の用語では心的外傷、トラウマである。過去のデキゴトは目の前には存在しないが、意識下に封印した記憶はどこまでも追ってくる。逃げれば憑かれる。「理性が眠るとき、怪物が目覚める」のである。京極堂は精神分析の手さばきで、憑いたコトを引き剥がす。

 もちろんこれは小説の中のコトだ。しかし現実にこのような行為を日々繰り返している人々がいる。噺家(落語家)である。昔々まだテレビやラジオも存在しなかった頃、噺家は数日間をかけて語る長い話、主に怪談話を高座にかけることがあった。その口演を一度でも聞いてしまったら、客は連日寄席に足を運ばずにはいられなくなる。話の続きが聞きたい、気になって仕方がない、平穏な気持ちでいられない。言葉が、物語が客に取り憑いたのである、話術師の技術を駆使した噺家が取り憑かせたのである。興行の最終日、噺家は物語に決着をつけ、話にオチをつける。どこに向かうのか判らなかった物語が、幽霊のごとく浮遊していた物語がすとんと着地する。すると客に取り憑いていた言葉もすとんと落ちる。噺家が落としたのである。客は胸をなで下ろし、取り憑いていたコトが離れた開放感は一種の心理的浄化の感覚をひきおこすというわけだ。かくして京極堂と噺家たちは精神療法の境界に立っている。

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Posted by 蒲菖亭(あべの古書店主人) at 01:02│Comments(0)依頼原稿
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