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蒲菖亭(あべの古書店主人)
蒲菖亭(あべの古書店主人)

2023年10月14日

京極噺

静岡県文化財団の依頼でグランシップで行われる催事の鑑賞記を書いた。静岡新聞に掲載された。2006年だと思う。
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「話芸」に不思議を観る

 話芸は自在である。演者の個性が聞き手をぐいぐいと引っ張る話術がある一方、物語を聞き込んでゆくうちに目の前の語り手の存在を忘れてしまうような芸風もある。どちらが優れているのか。それは聞き手の好み次第である。

 去る四月二十六日、私はグランシップで催された「京極噺」を聞いた。

 一番手の春風亭昇太は静岡出身の利を生かし、地元ネタを枕にきっちりと客席を温めた。おなじみの派手な身振りで演じる『妖怪噺』には作者京極夏彦の名がたびたび登場する。物語の背後に退いている作者の姿をちらつかせるような「楽屋オチ」はともすれば下品になりがちだが、押しの強い昇太のキャラとあいまって独特の味を出していた。

 当日までふせられていた春風亭小朝の演目は『豆腐小僧』だった。新作落語も小朝が語ると古典の趣がある。ところが聞き手が物語の内側に入り込んだ瞬間、小朝は某有名お笑い芸人の芸風を借用し、聞き手を現実世界に押し戻してしまう。なぜこんな演出を、と思う途端に作者と演者の境界が曖昧になる。「これはヒ○シの芸風だが、このセリフは京極夏彦が書いたのか、それとも小朝が書いたのか?」。

 トリの茂山千五郎家は新作狂言『新・死神』。古典落語の『死神』を下敷きにしている。『死神』は明治時代に三遊亭円朝がグリム童話を翻案して創作した。だがその童話にしてもグリム兄弟が採集した民間伝承である。すると「物語」の本当の作者は誰なのだろう?

 会場を出る頃、私は三本の噺が京極夏彦の作品だということをすっかり忘れていた事に気づき、「百物語」の言い伝えを思い出した。会衆が夜を徹して百の怪談を語り合う「百物語の会」では、百番目の噺が終わった瞬間に怪異が起こる。「京極噺」は三つの物語が終わった時、作者が消え失せている。まったく、話芸は不可思議である。

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Posted by 蒲菖亭(あべの古書店主人) at 23:38│Comments(0)依頼原稿
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